ジンタ

ETV特集「ジンタは心の行進曲 北村大沢楽隊 の2010年」(12/12放送・NHK教育)を見た。
“ジンタ”とは、私は=チンドン屋さんの音楽かと思っていたが、実は明治期に軍の音楽隊を真似て結成された農民楽隊が演奏する音楽のことであった。
地域を盛り上げるために全国の村々で活躍していたが、今では宮城県石巻市というところの北村大沢楽隊しか残っていないそうだ。

この楽隊のじいさまたちが、なんとも良かった。
地元の運動会に引っ張りだこで、生演奏で子供たちを盛り上げている様子。
招かれたなつかしイベントが学園祭で、客席がガラガラでもいつもと変わらず演奏している様子。
年齢なりにメンバーが次々と病に倒れても、互いを気遣いながら、出来る限りはいつまでもと、調子っぱずれになりそうな音を合わせて練習する様子。
ドキュメンタリーにしては珍しく、全くナレーションなし。
楽団の日常を淡々と、でも可笑しみを交えて綴っている中で、楽団員の言葉だけで太平洋戦争や家族のつながりまでも浮かび上がらせている構成も見事で、上質な記録映画を観たようだった。

結成85年で最長老が80歳代の北村大沢楽隊は間違いなく日本最古で、そして日本最後のジンタ楽隊になるのだろう。
最後のシーン、田んぼに座って堂々と演奏するじいさまたちはカッコ良かった。
ごく普通に一生懸命生きてきた人たちの人生って素晴らしい。

<番組紹介より>
遅い春を迎えた東北の田園地帯に、おかしくもちょっと悲しげなジンタの音が響き渡る。
「ジンタ」とは、明治、大正時代の軍楽隊から始まった日本独特の吹奏楽の俗称。かつてはサーカスや無声映画の伴奏として演奏され、また、後のチンドン屋の源流ともなった。そのジンタを今も演奏し続けている唯一の農民楽隊が宮城県石巻市の北村大沢地区にある。その名もずばり「北村大沢楽隊」。70代から80代の“ジイさま”達5人が楽隊メンバーだ。
楽隊が結成されたのは大正14年。楽隊の歳月は日本の激動の時代と重なる。戦争と敗戦、高度成長、過疎化、高齢化、米作りと農村の崩壊・・・そして低成長時代。そんな中を、北村大沢楽隊の老楽士たちはジンタを響かせながら生きてきた。
楽隊結成85年目の2010年春、田植えが始まり、一面緑のじゅうたんに変わるころ、ジイさま達の出番がやってくる。小学校の運動会、お祭りに、結婚式、ときに葬式。春から夏、そして収穫の秋まで、ジンタの響きとともに、高齢化なんてナンノソノ!入れ歯をモグモグさせながら、小粋に老いを楽しむ農民楽隊のジイさまたちのおかしくもたおやかな日々を描く。
(ディレクター 大平伸一)

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乳母車デビュー

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ついに乳母車デビューを果たす。

A型、B型、兼用など、色々ありなかなか迷って買えなかったのだが、
軽さと安全性を最重要視して選んだ。
色も良かった。
目立つ赤!
なんたって大事なベビーちゃんが乗るんだもの。
安全性第一である。

私は“ベビーカー”ではなく、つい“乳母車”と呼んでしまうのだが、正式には
乳母車というのは、「カゴに車が付いたもの」なんだそうだ。
学生の頃、地方を旅行したときに籐籠の乳母車を押しているおばあさんを見て
いい光景だな~と思ったことがあるが、あれである。
一度職場に、お金持ちそうなお母さんとその母親が“皇室御用達”という大きな籐の乳母車に子どもを乗せてきて驚いたことがある。
白いフリルが付いていて、確かに可愛かったが・・・。

自動車ではないが、ベビーカーは意外と操作が難しい。
アスファルトは思ったより凸凹があるし、傾斜も多い。
対面式にすると小回りが利きにくい。
スーパーでは何度も行きつ戻りつしてしまった。
片手にカゴ、片手で積んである商品を避けながら狭い通路を進むのはなかなかの難関。
早くも胸筋が筋肉痛である。
お母さんたち、皆スゴイ。
ただ、この辺では抱っこ紐で子どもを連れて買物している人が多いのは、店内や道が狭かったり、商店街はレンガなど敷いてあるので車が押しにくいということもあるのかもしれない。
子どもを連れていると、世の中それほど弱者に優しくない箇所が多いことに気付く。
それでも、近年のバリアフリー化は格段か。

ベビーカーデビューのこの日は、ひと山越えて隣の路線駅近くに活版印刷展を見に出掛けた(渋っ!)。紅葉デビューにもなった。
この一年は何でもお初だね。
これから行動範囲が広がりそうだ。
広げすぎないよう、気を付けよう。

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お食い初め

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生後100日のお祝い、お食い初めをしに久々に実家へ。

一生食べ物に困らぬように行う行事、ということは知っていたけれど、私もお祖父さんの膝の上でお箸を付けられていた写真があったなぁというぐらいで、詳しくは知らなかった。
一番一般的な祝い膳は、お赤飯などのご飯椀に、季節の煮物椀、蛤などのお吸い物椀、香の物、それに歯固めの小石の5種。それに尾頭付きの鯛の焼物などがつくそう。
それを、ご飯→煮物→ご飯→汁物→ご飯→香の物→ご飯→小石の順に箸を付けて、子どもの口に運ぶ。
長寿にあやかって、年長者にやってもらうことが多いという。

お食い初め膳は、お祝いにいただいた木の器を適当に取り合わせて・・・と思っていたが、ちょうど知人からお下がりのお食い初めセットをいただいたので、それを使わせてもらうことにした。
ちなみに今回いただいたお食い初めセットは、内朱の女の子用の塗り物膳。
でもいつも思うのだが、こういう伝統行事は、本式を踏まえた上であとは出来る範囲でアレンジしてやればよいのかなと。
だって、“伝統”と言ってもいつからの時代を本式としてよいのかという問題もあるし(神式の結婚式だって、大正時代(たった100年ほど前)からの“伝統”ですよ!?)、全ての行事に全力投球はできないから。
それぞれの家庭で大事だと思うことを優先させて気持ちを込めれば、それはそれぞれの良いお祝いになるのではないかなと思う。
しかし母からプレゼントを打診された、小さな愛らしいお膳セットを見ると「やっぱり欲しいかも~!」と心が揺れたが・・・。

今回初めてお赤飯を炊くぞー!と意気込んでいたのだが、夕方まで出掛けてしまい、お祝い膳は結局ばあちゃんに任せきりになってしまった。
ごめんよ、息子よ。
一番大事なことが後回しになってしまった。
それにしても、じいちゃん、ばあちゃん、おばちゃん、おじちゃん、そして2人の豆台風甥っ子たちと私たち3人でお膳を囲み、賑やかなお食い初めの夕餉となった。
かの乳腺炎を恐れながらも・・・やっぱりお祝い事にはケーキがないとね。
プレートの文字は、「祝・お食い初め&健康祝い」。
そう、我が親戚一同は、父が倒れた11月は“あの日を忘れない-健康チェックしよう月間”なのだ。
その意味もあって、皆で集まった。
元気が一番。幸せの素。

皆さん、一緒にお祝いしてくれてありがとう!
そして100日間元気でいてくれてありがとう。
これからも元気にスクスク育っておくれよ。

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お乳騒動

オソロシヤ。
ブログを書こうとするたびに発熱してしまう!?

「これだけはなりたくない~」と思っていた乳腺炎についに罹ってしまった。
乳腺炎とは、お乳が詰ってしまうこと。
おっぱいにしこりができて、突然悪寒がし、高熱がでる。
朝目が覚めるとガタガタ寒気がしたので「ヤバイかも・・・」と思った時には、もう38度台の熱があった。
その日はお客さんが来る日だったのでなんとか対応し、後は布団にこもりきり。
異常を察してか幸い赤ちゃんもおとなしくしてくれていたので、ひたすら2人で寝ていた。

原因は脂っこいものや乳製品の摂りすぎとも言われているが、思い当たるとすれば、前日にダンナさんが作ってくれた、美味しいオイルたっぷりの鶏肉のイタリア煮(というネーミングなのになぜか梅干しで煮る)か、お誕生3ヶ月祝!と称して食べたケーキか・・・。
産後、お祝いだお祝いだとご馳走が続くと、乳腺炎になりやすいのだそうだ。
熱が出るのでツライのだが、抗生剤で治したくないので(そもそもしんどくて病院に行けない)、水分だ、果物だと必死で摂っていたら、本を見るといずれも×!
対処方法としては、お乳を出し過ぎないよう、水分や果物を控えておっぱいを冷やし、あとはひたすら吸ってもらうのが良いとのことだった。

お乳は、出すぎても出なくても困る。
乳が出にくい時の食べ物として、昔から餅や小豆、鯉こくなどが伝えられてきたそうだ。
私も出産直後、母が「お乳の出が良くなるから」と言って芋がらを煮て病院まで届けてくれた時は、母のそのまた母からこんなことが伝えられてきたんだと知って驚いた。
今は栄養も豊富になったので、逆に栄養過多に注意しなくてはいけないことが多いらしい。
美大卒の知人の女性は、外出先の山中でお乳が溜まって困った際、搾ってただ捨てるのはモッタイナイと近くの石垣にお乳を飛ばして絵を描いたと話してくれて、皆で大笑いしたことがあるが、義母は、かつて子育て中に溢れたお乳を見たお祖母さんに、「空き缶に取っておいてね。あとで植木にやるから。」と言われびっくりしたのだそうだ。
同じモッタイナイでも、さすが明治の女はやることが違う。

自然療法の本によると、乳腺炎の際、お乳を冷やすのに里芋を摺ったペーストやキャベツの葉を使うのも良いとあったので、ちょうど冷蔵庫にあったキャベツをもうろうとしながら数枚ちぎり、おっぱいにあててみた。
適度にひんやりして気持ち良いなと思いつつも、やはりしんどいのでそのままひたすら耐えて寝ていた。
夜帰ってきたダンナさんは、枕元に生キャベツを山盛りにして頭から布団をかぶって寝ている私を見て驚いたらしい。
「食べたの?」と・・・。

キャベツのおかげか、翌朝なんとか熱も下がり、ほっ。
もう脂はコリゴリだ~!!
と思いながらも、赤ちゃんのお食い初めのお祝いのため、その日に実家へと旅立ったのだった。
ああ、またご馳走が・・・。

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サルウサギ荘日記 再スタート!

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2009年11月にスタートした「サルウサギ荘日記」。
1年ぶりの再開です。

あっという間に中断してしまった・・・のには訳があります。
2009年12月、初めてのオメデタ発覚!
怒濤のつわりと、産休に入る前の怒濤の仕事、そして引越し。
優雅でナチュラルなマタニティライフからはほど遠く、日々を綴る気力もなくゼーゼーと日を送っていたのですが、ついに2010年7月に無事出産。
温かく、生命力に満ちあふれた小さな家族を迎え、やっと日々のくらしと向き合う気持ちが溢れてきました。

子どものこと、平成のくらしに生きる昭和的くらしのことなどを再び綴っていきたいと思います。
この子が寝てる間に・・・。

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ともだち

NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」にハマった。
元々司馬遼太郎が大好きだったのだが、この作品はまだ読んだことがなかった。
しかし、冒頭から流れる明治時代の記録映像と作品の朗読(ナレーション)に一気に引き込まれた。
そうだ!そういえば、私は日本という国家が始まったばかりの“明治”という時代が好きだったのだ!ということを久々に思い出した。(今は“昭和”に関するシゴトをしているが)
ついでに主題歌を歌うサラ・ブライトマンも、とても好きな歌手だ。

その関連でNHKの番組「歴史秘話ヒストリア」を見る。
「坂の上の雲」の中心的な登場人物である、俳人・正岡子規の特集だった。
若くして結核に冒され夭逝したことはよく知られているが、ここでは子規の闘病生活を支えた友人たちを取り上げていた。

子規は東京帝大時代に大勢の友人たちと野球に打ち込み、俳句の会を催した。
お節介なぐらい友人たちの世話を焼き、皆で集まるのが好きだったという。
結核から脊椎カリエスを発症し35歳の若さで亡くなるのだが、7年にも及ぶ壮絶な闘病生活を支えたのは、上京して身の回りの面倒をみた母と妹の他に、その大勢の友人たちだったということなのだ。
寝込んで歩くことすらできなくなってゆく子規に手紙や写真を送る者あり、絵を教える者あり、また枕元に集って仲間で賑やかに句会を催し、時にはヤミ鍋大会まで催して大いに笑いを振りまいていたという。
宴会中の痛みに耐えかねた苦悶の声に、友が「やめようか」と尋ねても、子規は「続けてくれ」と言ったらしい。
子規の友人というと、私は恥ずかしながら夏目漱石ぐらいしか知らなかったのだが、洋画家の中村不折や俳人の高浜虚子らも子規を支えた友人であった。
激痛の中だからこそ、そばで友人たちが楽しくふるまう姿が何よりのなぐさめだったのだろう。
父の闘病の時も同じだった。
苦しい時は見ている方もつらいと思うのだが、傍らで冗談を言い合ってくれる友達たちの姿には、拝みたいような気持ちだった。

妹の律が、子規の為に家の庭を様々に作り替えていたということも知って驚いた。
寝たきりでも外界とのつながりを保つために、子規の寝床の視線から見えるように花や植木を植え、鳥のさえずりが聞こえるように工夫していたという。
子規は様々な身の回りの事柄から句を詠む先駆けとなった人なので、日々の移ろいをできるだけ増やしてやろうとした妹の愛情だったのだろうが、生きる気力を持ってもらうために自然の力を借りようと思う気持ちは今も明治も変わらないのだなぁと思った。

父の入院中は、衛生上の理由などから病室への生花の持ち込みは禁じられていた。
植物からもらう力は多いはずなのにと歯がゆい思いをしたが、ならばせめてもと皆で紅葉や木の実、ねこじゃらし、桜の花などをせっせと持っていった。
先日「園芸セラピー」というものの話を聞きに行ったのだが、もちろんそんな言葉も概念もないこの時代にそれに近いことを行っていたことになる。
しかし、結核の特効薬ペニシリンが普及するのは昭和も戦後になってからのことなので、明治のこの時代には遠い祈りだったと思うとせつない。

病と自然と友人と。
今も明治も変わらぬことがあることを知った。
明治も近くなりにけり。
「坂の上の雲」、原作を読んでみよう。

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幸せなごはん

1年間の入院生活から自宅復帰し、久し振りに母の手作りの食事を食べられるようになった父は、毎日毎回の食事を「おいしい」と言って食べる。
流動食しか食べられないので以前の食事と比べるとかなりの制約はあるのだが、それでもおいしいと言う。

流動食を作るのはなかなか大変だ。
まず普通の食事を作り、それをミキサーにかけたり、とろみ剤を加えたりする。
しかも毎日必ず三食。
赤ちゃんの離乳食と似ているらしい。
「やっと子育てが終わったと思ったのに」と母は嘆いているが、それでも毎回涙ながらに「おいしい、おいしい」と言って作ったご飯を食べているのを見るのはまんざらではないらしい。
毎回、全力で感謝しながらご飯を食べられるというのは、本当に幸せなことだ。
“ご飯”というもののの力を知った。

そんな様子を見てジンときていて帰るのが遅くなり、我がダンナ様にはスーパーのお弁当など食べさせてしまった。
いたく反省。

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すぐれもの

Photo_3 この2日間、突然の発熱で寝込んでしまった。

夕方に突然悪寒。そして高熱。
一晩大汗かいて朝には治る、というのを2クール。
これはもう新型インフルエンザに違いない!とふらふらしながら病院に行ったのだが、予想に反して陰性の診断。
「お疲れでは?」
とにこにこしながらのお医者さんの言葉に、
「う~んそうかもしれません・・・。」と、またふらふら家に帰ってきた。

とにかく寝る。
そんな時、とてもありがたいのが湯たんぽと水枕だ。
湯たんぽにはしがみつけるし、水枕は熱で頭痛気味の頭を優しく支えてくれる。
子供の頃も、熱が出たときは母親が水枕を作ってくれものだたが、うんうんうなっている時に耳元で氷がカラカラ優しく鳴るのが慰めだったのを良く覚えている。
しんどいからと、初めは保冷剤にしたのだが、やはり固くて水枕に変えた。
昭和の道具はスバラシイ!
なんとか熱も下がった。

それにしても、熱で悪夢にうなされたのは初めてだった。
「解放!」「労働!」「和解!」などという単語と書類の山が、追い払っても追い払ってもバサバサ頭の上から降ってきた。
う~む。やはりお疲れだったのだろうか。

(水枕にはツルカメの模様!)

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老夫婦

先日、箱根の山奥に知り合いの老夫妻を訪ねた。

元大学教授のOさんはとても品の良い方だ。
仕事関係で知り合った方だが、都内で偶然にもバッタリお会いし(しかも2度も!)、
それがご縁で色々とお誘いくださるようになった。

今回お招きいただいたお宅はため息が出るほど素敵だった。
薪ストーブから、揺り椅子から、食器の一つ一つから。
簡素だが、選び抜かれた質の良いものが使い込まれていて、まるでヨーロッパの修道院を訪ねたようだった。
奥様もとても品が良い方だ。
「ごめんあそばせ」という言葉がごく自然に出てくる。
ガスを通していないので、窯で大きな大きなオムレツを焼いてもてなして下さった。
戦前頃の古き良き山の手の生活が突然目の前に現れたようだった。

素敵に年月を重ねていた調度や道具のように、
お二人のように、歳を重ねてゆきたいなぁと思う。

それにしても、ろうふうふとひらがなで書くとちょっと可愛い。
「ふうふう」にも見えるし、「うふふ」にも見える。
ふうふう言いながらも、毎日うふふと笑いあっているろうふうふになりたいなぁ。

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サルウサギ荘日記はじめます

Photo_2東京は大田区・御嶽山よりサルウサギ荘日記をつづります。

御嶽山は東京の中の村とはいえ、一応れっきとした23区内なのですが、我が家は林の中の一軒家・・・の2階。昭和27年建築です。
この通称“サルウサギ荘”より、日々のくらし、昭和的くらしなどを綴ってゆきます。

御嶽山というちょっといかめしい駅名は、近くに御嶽神社があるため。江戸時代に神社脇の茶屋だったところが今はスーパーになっていたり、参道らしい道が残っていたり。なんとなく昔っぽい小さな小さな町です。

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